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    11/30/2007

    冬支度

     冬支度。
     先生にならって、板のホットワクシング。
     
     まずは札幌。う~、体が・・・。
    11/29/2007

    小さな世界

     「かけがえのないもの」「失ったもの」って、何だっただろうか?
     
     8月のシンポジウムで東京大学の神野直彦さんは、講演にスティーグ・クレッソン氏の詩を引用していた。
     
    『第二次大戦後、スウェーデンは豊かな国となり、人々が「繁栄」と呼ぶ状況を生み出した。私たちは、あまりにも簡単に幸福になりすぎた。人々は、それは公正であるか否かを議 論した。私たちは戦争を回避し、工場を建設し、そこへ農民の子どもが働きに行った。農民社会は解体され、私たちの国は新しい国になったが、人々が本当にわが家にいるといった感覚をもてたかどうかは確かではない。1950年から60年に至る10年間に、毎日300戸の小農家が閉業するというスピードで、農業国スウェーデンが終焉した。人々は大きな単位、大きなコミューン(市町村)を信じ、都市には遠い将来にわたって労働が存在すると信じた。
     
     私たちは当然のことながら物質的には豊かになったが、簡単な言葉でいえば、平安というべきものを使い果たした。私たちは新しい国でお互いに他人同士となった。
     
     小農民が消滅するとともに、小職人や小商店が、そして、病気のおばあさんが横になっていたあの小さな部屋、あの小さな学校、あの子豚たち、あの小さなダンスホールなども姿を消した。そういう小さな世界はもう残っていない。小さなものは何であれ、儲けが少ないというのが理由だった。なぜなら、幸福への呪文は〈儲かる社会〉だったからだ。』
    11/27/2007

    クマタカの棲む森

     続いて愛媛県の肱川へ。
     
     肱川は、愛媛県完結する川でありながら国が管理する一級河川である。幹線流路は103キロ、しかし源流から河口までの直線距離は18キロしかない。まるで「ひじ」のように折れ曲がっているというのが、名前の由来だ。
     大洲の市内でアユが産卵し(訪れたとき、まさに産卵行動をしていた)、深い山々からの流れと風景が「清流」と呼ぶにふさわしい。
    SANY0201
     すでに基本方針が策定され、整備計画も2004年に策定済みであるが、整備計画策定作業に関しての流域委員会では、徹底的に住民を排除したことで悪名高い。住民意見は徹底的に聞き置くだけ。反映させるという姿勢はまったく見られなかった。流域委員会は、学識者と首長だけで組織され、住民の代表は選出されなかった。
     
     そして計画には、新規ダムの建設が明記されており、これが治水対策のメインとなっている。しかしこのダム計画には、地元住民から大きな反対運動のうねりがおこっている。
    地元住民がこのダム計画-山鳥坂ダム-計画に反対する理由は以下。
         1.ダムが完成しても洪水常襲地帯が残る(常襲地帯の住民は、洪水と共存している印象だった、特に大洲地区)
         2.ダムができると、アユが壊滅的な被害を受ける(訪れた時は、アユが瀬で産卵行動をしていた)
         3.ダムにかける財源があれば、ダムを中止して河道整備(堤防整備など)にまわす方が賢明。
         他
     
     山鳥坂ダムの建設が予定されている河辺川(肱川支川)は、肱川流域面積1210平方キロのうち64平方キロ(約5パーセント)に過ぎないことから治水効果にも疑問があるが、国はこの数字を前面には出してこなかった。
     またダム建設予定地は、希少種のクマタカの生活圏そのものであり、生物環境への悪影響も心配されている。下の写真は建設予定地に近いところであるが、おそらくダムの設計者がみたら、思わず手をたたいてダムをつくりたくなるような地形なんだろうと思う。
    SANY0208
     これは肱川に限ったことではない。今あるものを活用すること、最低限の改変で、済ませられるのではないか。「造る」ことで失うものは、あまりにも大きい。「便利さ」を求めて、失った「豊かさ」はあまりにも大きい。失うと取りもどすことができない「かけがえのないもの」は、何か?再度、考え直さなければならない。
     
     アユ釣り師のおっちゃんに、吉野川から来たと言ったら、「そうかぁ、それやったらうちの川よりもええアユが、おるなぁ」と少々、悔しげに答えがあった。そう言ってもらえる川に住んでいることは、とてもうれしい(「川に住んでいる」という表現はとてもいいな)。肱川の土産と言って、自分で山から切り出してきた竹をくれた。この竹を、アユを釣るときに使うタモ網の柄に使うんだそうだ。捻じ曲がった竹の節が、ぼくの手にもぴったりとおさまる。ありがとう、おっちゃん、肱川。
     
    肱川の河川整備については↓

    風のような物語

     星野道夫著・写真『風のような物語』
     小学館
     
     -自然に対する興味の行きつく果ては、自分自身の生命、生きていることの不思議さに他ならないからだ。-
     
     星野さんがこれらの風景を写真として切り取った時から、アラスカはどう移り変わっているのだろうか。気になってきた。
    11/26/2007

    人助天

     市民団体の武庫川円卓会議が主催する武庫川バスツアーに参加。
     
     今、日本全国の109ある一級河川(一級河川は国管理)で、河川整備基本方針と河川整備計画の策定作業が進められている。
     河川整備基本方針は今後150年間の、河川整備計画は今後30年間の河川整備のあり方を決める計画だが、150年間の計画と言われて想像できるだろうか?西暦2157年、30歳で子どもが生まれたとして、5世代先の子孫へ向けた贈り物である。
     8月に開催したシンポジウムにパネリストとして参加してくれた中村敦夫さんが言っていた。「みなさん、100年先とか言っているけど、100年前、日本は日露戦争やってたんですよ。その時に、100年先のことなんか、考えられるわけない。」(笑)と、言っていた。
     それはさておき、5世代先の子孫へ向けて、自然環境、川をどんな状態にして手渡すのか?これは想像力との戦いである。
     
     武庫川は、県内完結の県が管理する二級河川である。2004年、兵庫県知事は基本方針および整備計画の審議を始めるにあたって、広く県民の意向を聴き、意見反映をするために武庫川流域委員会を設置した。以来、現在にいたるまで、委員会だけで54回、ワーキンググループも含めると数百回もの議論を重ね、審議を行っている。2007年10月25日に流域委員会から基本方針の原案が県知事に提出された。
     武庫川流域委員会の特徴は、一般に流域委員会で取り扱うのは、河川整備計画であるのに対して、整備基本方針から審議が行われていること。そして何よりも、中立的な立場で議論するために、さまざまな専門分野の学識者、専門家、および利水関係者とダム反対運動の住民団体代表が委員に選ばれていることである。
     委員は、運営の基本として「公開の原則」「自主運営の原則」を掲げ、合意形成のモデルとして透明性を確保している。
     
     県管理の河川であるが、合意形成を達成するために議論を、「参画と協働」「住民参加による合意形成」のモデルケースにしようという意気込みが、日本全国の川作りのモデルとなっている。
     
     吉野川しかり利根川しかり、今、審議が行われている日本の一級河川では、住民の意見は聴きおくだけとなっており、意見反映の糸口が見えてこない国の河川行政である。5世代先の子孫への贈り物である、納得いく形で、そして自然環境豊かな川を後世へ受け継いでいきたい、そう願うばかりである。
     
     さて武庫川である。武庫川幹線流路65キロ、流域圏は約540平方キロ。流域人口約100万人。
     武庫川には支流も含めて6つのダムがある。さらにもう一つのダム建設をめぐって、河川整備が揺れ動いている。
    1979年に武庫川ダム(生瀬ダム)建設の調査に着手したが、もともと治水・利水を目的とした多目的ダムであったが、その後の水需要の低下にともない、治水専用のダムに目的変更。地元住民からは、水害の発生、環境保全の観点から反対運動が起こった。
     流域委員会からは、計画に対して、「新規ダム代替策を徹底的に検討すること」「新規ダムに頼らない治水対策を実現するべく全力を投入すべき」「生物環境への影響については、なお長期にわたる解明が必要」との答申が知事へ提出されている。
     知事の英断を待つのみである。
     
     武庫川ダム建設予定地は、武田尾渓谷につながる景勝地で、訪れたときには、紅葉狩りをしようと、老若男女大勢がトレッキングしていた。関西圏市民の憩いの場でもある。
     SANY0101
     印象的だったのは、千苅ダム。1918年に完成したダムである。1918年と言えば、第1次世界大戦がベルサイユ条約によって終結した年である。ダム横に建立された石碑には、こう記されていた。
    -人助天-
    人が天を助ける。「天が人を助けたのは過去のこと。今日では人が天の足らざるを補う。」という意味だそうだ。何というおこがましさだろう。こんな時代であったのだなと、感慨深い。
     
    SANY0136
     ぼくは、武庫川流域でもある伊丹市で育った。また従兄が西宮市の武庫川のすぐそばに住んでいたこともあって、武庫川は割と身近な存在だった。水は汚れていて泳いだことはなかったし、都市河川としての認識だけがあった。しかし人口が膨れ上がった都市においては、人々の憩いの場でもあり、また様々な動植物が生きる場であることを再認識した。
     そして150年後には、武庫川は、吉野川は、地球はどんな姿であってほしいのか。想像力をめぐらし、できるだけの努力をしたいと思う。
     武庫川の今後にご注目いただきたい。
    武庫川流域委員会HP↓
     
    11/21/2007

    高丘親王

     渋澤龍彦著『高丘親王航海記』
     
     9世紀、高丘親王は天竺を目指す。なんという壮絶な、しかし静かな死だろう。
    旅愁に誘われる。まだ見ぬ土地への憧れ。
    11/13/2007

    村田エフェンディ

     梨木香歩著『村田エフェンディ滞土録』
     角川書店
     
     エフェンディ=学問を修めた人物に対する敬称
     
     1899年、トルコに留学している村田さんの話。大家のディクソン夫人、使用人のムハンマド、同じく下宿しているオットー、ディミィトリス、そして鸚鵡。
    この鸚鵡が実に、いい役回りを演じている。夜中に「悪いものを喰っただろう」「繁殖期に入ったのだな」、とわめき散らす。
     しかし時代ははかなく・・・。最後のシーンは、涙がとまらなかった。
     
    11/9/2007

    G.LOVE

     [NUMBERS] 風に吹かれて、思わず旅に出てしまいそうなメロディー
     [RODEO CLOWNS] 走り出し、走りがとまらなくなりそうなテンポ
     
     G.LOVE & SPECIAL SAUCE [COLD BEVERAGE]より
    11/6/2007

    クレーターと巨乳

     藤代冥砂著『クレーターと巨乳』
     スイッチパブリッシング刊
     
     あの写真家の藤代さんの恋愛小説。ワクワクしながら、噴出しながら読んでしまった。
     本の表題になっている『クレーターと巨乳』の謎を知りたければ、読んでみるしかないね。