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    1/25/2008

    人間回復の経済学

     神野直彦著『人間回復の経済学』
     岩波新書782
     
     夏に開催した「川の全国シンポ」で特別講演をしてくださった神野直彦さんの著作。
     ぼくに、吉野川の未来を、人間の未来に「希望」を抱くこと、見出すこと、それを強く教えてくれたのは神野さんである。
     
     「意識をそなえた人間は、子どもの将来の幸福を願って未来を意識的に構想することができる。」
    自分たちの子ども、孫、子孫へ大事なものを受け継いでいくために、何をすべきか。大事なものは何なのか。

    漆の実のみのる国

     藤沢周平著『漆の実のみのる国』(上・下)
     
     藤沢周平に惹きつけられて著作を読み漁っていたときがあった。そのときにまとめ買いしていたのだが、上下巻あるので、何となく遠ざけていて、しばらく本棚に眠っていた。
    どうして今まで眠らしていたのか、後悔するほどの内容だった。
     
     江戸時代、米沢藩。上杉鷹山の家老・竹俣当綱は、10年後に米沢藩の石高を15万石から倍の30万石に引き上げ、領民の暮らしを救うために、政策を打ち出す。それは毎年の天候不順に悩まされる農作物に変わって、あまり天候に左右されることのない木の実。領地を開拓し、漆や楮などを植え、10年後領地を埋める漆の実によって漆蝋などの加工品をこしらえる。誰もが、領地に漆の実がみのって、豊かに暮らす10年後の暮らしを夢見ただろう。
     しかし結局、この政策はみのることはないのだが、竹俣当綱は言う。
    「いかに学問があっても、国を困窮から救う方策がなければ学問は何の役にも立たない。国家は今年ばかりの国家にあらず。君上は御一門の意見からひろく衆虜まで聞きとって、目前の困難に対処するだけでなく、二十年先の構想を打ち立てて国人のくるしみを救われるべきである。」
     
     今、この本に出会ってよかったのかも知れない。当時であれば、ただのストーリーであったかも知れない。
    1/22/2008

    こんぴら

     金刀比羅宮参りへ。四国にいながら初の金刀比羅さん。1/31まで書院の文化財が特別公開されている。
     
     金刀比羅は、信仰の社でありながら、かつ文化の社でもある。さまざまな文化財、美術品が奉納されており、日本人にとって瀬戸内海がいかに重要な土地であったかを物語っている。
    表書院「水呑みの虎」円山応挙、奥書院「花丸図」伊藤若冲 「郡蝶図」岸岱 等の歴史的作品に続き、白書院では現在も描画が進行中の田窪恭治「椿書院障壁図」。田窪さんの椿は、実に力強い。そして高橋由一館は、近代の洋画先駆者 高橋由一「海魚図」「琴平山遠望」。詳細までこだわった描画と色づけに驚く。
     
     金刀比羅への往復路、吉野川沿いの汽車車窓も、金刀比羅奥の宮への参拝路も、この日は降り続く雪で、白化粧。実に厳かな気分だ。静けさを感じた。
     
    金刀比羅宮 書院の美↓
    SANY0414SANY0421
    1/21/2008

    アース

     映画『アース』
     ドイツ・イギリス合作
     
     オシドリの子どもが思い切って木の上の巣穴から飛びたつ。まだ羽も筋肉も大きくなっていないので、羽ばたいても風をきることはできない。どさっと落ちても、そこは落葉広葉樹のフカフカの地面。子どもたちは元気よく立ちあがって、歩きだす。
     さすがBBCである。秀逸の映像。
    1/19/2008

    ネバーランド

     映画『ネバーランド』 2004年 アメリカ・イギリス
     出演:ジョニー・デップ、ケイト・ウィンスレット
     
     夢がかなう場所、信じれば必ず行ける‐ネバーランド。
     1900年初頭、ピーター・パンのストーリーの誕生に秘められた、最愛の人を失うが、けれど信じることの意味を問う。
     
     子どもたちに夢を与えること。

    広島 平和

     広島、平和記念公園へ。十何年かぶりにやってきた。
     
     1945年、8月6日の原爆投下について。広島、長崎、新潟、小倉が、最終的な候補地となっていた。理由は、基地、造船所等の軍事施設があったこと。
    広島に投下された理由。連合軍捕虜基地がなかったと思われていたこと。そして当日の天候が晴れだったこと。
     
     何という悲劇だろうか。原子爆弾の威力を試すために、広島は実験地となった。そして1945年だけで、原爆によって14万人の命が奪われた。その後も、被爆による後遺症で心と体に大きな痛手を負った人々の、そして自然の痛手は・・・。
     
     原子爆弾は、ウランやプルトニウムが核分裂するときに発生するエネルギーを兵器として利用したもので、核分裂の際に発生するガンマ線や中性子線などの放射線が、長い期間にわたって人体に深刻な影響を与える。
     
     もちろん戦争は、核爆弾だけでなく、日本もアジアを中心に占領、迫害、殺戮を行ってきた。
    しかし広島、長崎と日本は2度にわたって、被爆の悲劇を体験してきた。原子爆弾による被爆は世界でも日本だけである。二度と愚かな歴史を繰り返さないために、私たちの子どもが平和に、そして自然とともに暮らしていけるように、この核による悲劇を伝えつづけなければならない。
    広島平和記念資料館↓
     
     しかしその後も、世界各国では、核兵器の開発が続き、核実験、核所有がひろがっている。核軍縮とか言われているが、世界には2万発もの核兵器が存在するという。
     
     広島は、被爆した経験から、核兵器廃絶と世界恒久平和を求めて、住民が、行政が、核兵器と人類は共存できないという考えを打ち出している。資料館の壁一面に、張り出された、広島市長の核実験を行った各国への抗議声明文をみて、涙が出た。自分が行動しなければ変えられない。行政は自分なんだ。

    【広島市HPから】核実験に対する抗議

    広島市長は、核実験の実施に対し、昭和43年(1968年)以降、実施国へ抗議文を送付し続けています。平成8年(1996年)9月に国連総会で包括的核実験禁止条約(CTBT)が採択され、核爆発を伴う核実験は禁止されましたが、米国やロシア・英国は「核爆発を伴わずCTBTに違反しない」と主張して臨界前核実験を行っており、これに対しても抗議文を送付し、実験の即時中止を求めています。
    また、こうした核実験のほか、イラクや北朝鮮の核開発疑惑など核兵器をめぐるさまざまな問題などにも抗議や要請を行っています。

    〔通算抗議回数〕 588回(平成17年4月現在)


     【北朝鮮の核実験実施の発表に対する抗議文(2006.10.10)】

    朝鮮民主主義人民共和国
    国防委員長  金正日 様


    抗 議 文


    本市や被爆者団体をはじめ、多くの都市や団体が核実験中止を求める要請を行ったにもかかわらず、貴国が実験を強行したことに強い憤りを覚える。被爆地ヒロシマを代表して厳重に抗議する。

    国際社会が平和的解決に向けて懸命の外交努力を続ける中、貴国が核実験を強行したことは断じて許されるものではない。貴国のこうした行動が、核軍拡や核拡散を加速させ、世界の平和と安全の構築を脅かす取り返しのつかない事態につながることを強く危惧する。

    貴国は、「核兵器は人類滅亡を引き起こす絶対悪である」という被爆者のメッセージを真摯に受け止め、全ての核兵器と核計画を即刻放棄すべきである。さらに、核問題等に関する6か国協議に応じるとともに、核不拡散条約(NPT)に復帰し、核抑止力に頼らない外交努力を行うなど、核軍縮に向けた誠実な交渉義務を果すことを改めて強く求める。


    2006年10月10日

    広島市長 秋 葉  忠 利


    広島市の平和への取り組み↓

    広島市の核兵器廃絶に向けた取り組み↓
     
     

    大山祗

     しまなみ街道・大三島に鎮座する大山祗(おおやまずみ)神社。
     
     御祭神は大山積大神一座であり、日本建国の大神であると同時に、地神・海神の、また日本民族の総氏神である。なぜこの小島に、これほどの神さまが祭られているのか、と思う。それは瀬戸内海が、古代ではあらゆる意味で重要な役割を持っていたこと、日本人が海を移動していたことに由来するのだろう。
     厳かな鎮守の森と、中国の水墨画のようにそびえたつ岩山が大山祗神社を守っている、いや大山祗神社が、信仰が、森を、山を、海を守っている。日本人の知恵についてあらためて考える。
     
    大三島および大山祗神社については↓
    1/15/2008

    月の砂漠

     平山郁夫美術館。広島県尾道市、しまなみ街道の生口島にある。
     
     平山さんは、1930年、生口島生まれ。
     1945年、広島に原爆が投下されたとき、平山さんは広島で学生生活を送っていた。「平和への渇望」、平山さんの絵からのメッセージではないだろうか。
     
     シルクロード・楼蘭を行くラクダ隊商、月夜、陽昼。光の色彩が、今もまぶたの裏に焼き付いている。黄金の陽の光。
     
     夜は、平山さんの絵をバックに、マンドリンのコンサートである。弦楽器が奏でるメロディーが、月の砂漠に旅のラクダを歩ませる。
    平山郁夫美術館HP↓
    1/11/2008

    民族学・民俗学

     大阪の万博、国立民族学博物館へ。
     
     ここは大好きな博物館で、もう何度も足を運んでいる。時々の関心事によって、常設展示も見るたびに新しい刺激を受ける。今回感じたことは、日本の民族文化のレベルの高さだった。世界のさまざまな民族の文化展示の後に、日本の展示があるのだが、その空間に入った途端、木や草、石などその地にある自然を持続可能な形で利用している様にあらためて感銘を受けた。そしてそれらから発せられる色彩が、やわらかくあたたかだった。厳か(おごそか)だった。こんな素晴らしい文化を、今まさに何度でも見つめ直し、そこに立ち返っていかなければならない。野球監督のノムさんも言っていた、「古き良きもの、常に新しい」。
     
     そして、宮本常一という民俗学者について。宮本さんは、山口県の周防大島生まれ。1907年生まれ、1981年に他界している。日本各地を歩き、日本人の文化を記録に残した。それまであまり取り上げられることのなかった漂泊民や被差別民、性についても調査の範囲はおよんでいる。
     著作を読み始めたばかりだが、その内容はもちろんだが、宮本さん自身の人柄に惹かれる。

    剣山 再び雪

     2007年末、剣山へ。メンバーはまりっぺ、イアン、しーちゃん。
     SANY0329
     早朝の見の越、まだ降雪なし、積雪なし。気温0度。西の三嶺の頂には、どんよりと分厚く黒い雲。予報も、見た目もこれからまさにドカ雪といった様相。
    剣山山頂からのルートは、行ってみてから時間、気分を見てから決めようということで、山頂へ向かう。スタートから15分、いよいよ雪がちらつき始めた。あっという間に風も強くなって、横殴りの吹雪になる。ブナ林とクマザサの続くトレイルが、あっという間に白く染まってきた。気温は少しずつ下がっているけど、静かな森を歩いていると心も落ち着いて、体もぽかぽかとあたたまっている。時折、晴れ間が見えて、三嶺へ続く峰峰に雪が積もっていく様がきれいだな。
     山頂へ近づくにつれて、気温が下がり、トレイルも凍りついてきた。2時間ほどかけて、山頂へ到着。気温-10度。
     
     剣山山頂ヒュッテは、翌日の31日から数日間オープンするということなので、このときにたくや君ファミリーが一斉にあがってきていた。準備の時間に突然お邪魔したにもかかわらず、アメ湯や草餅や飲み物をいただいて、hospitalityに感謝。たくや家秘蔵のワカン(和かんじき)を見せてもらい、でかさにびびる。SANY0333SANY0343
     もうこれから4時間かけて祖谷まで尾根伝いの道を歩くという選択は消えて、再び見の越へ戻ろうということになった。
     途中、動物の糞や足跡が見られたので、まりっぺの解説を聞きながらのトレッキング。見方を教えてもらうだけで、いつも見ている景色や自然から違うことを感じられる。
     イアンからは、フィッシングのこと、仕事のこと、しーちゃんからはクライミングの情熱をわけてもらって、うれしい。
     
     帰りは、トレイルにも10センチぐらい雪が積もっていて、おまけにその下は凍結していて、スケートをしながらの下山になった。冷え込んだ空気が、肌をぴりぴりと刺激して気持ちいい。人工的な音も匂いもなくて、気持ちよかった。
     
     そういえば、前年11月にのぼったときも、初雪・初霜の日で、横殴りの吹雪だった。ついてる?
     
     車での帰り道、リスが道路を横切っていった。
    1/9/2008

     映画『麦の穂をゆらす風』
     監督:ケン・ローチ 2006年アイルランド・イギリス合作
     アイルランド独立戦争とその後の内戦を描いている。同じ志のもと、イギリスからの独立のために闘ってきた兄弟だが・・・。戦争とは、兄弟も、家族も、友人を心の中から奪っていくもの。悲しすぎるエンディング。
     
     映画『ある愛の風景』
     監督:スサンネ・ビア 2004年デンマーク
     幸せな家族の生活が、夫のアフガニスタン戦争への派兵によって壊される。戦地から帰った夫は、心に深い深い傷を負っていた。戦争とは、家族とは、深く問いかけてくる。